川魚淡水魚漁
水の里の恵みがもたらした様々な漁と食文化
思川、巴流川や大小さまざまな沼のある生井村は、四季を通じて豊富な川魚や貝、川えびなどの魚介類に恵まれていました。12月になると沼や掘をかい掘り(※)してナマズ、フナ、コイ、ウナギなどの魚がたくさん獲れ、特にこの時期のフナは「寒ぶな」と呼ばれ、弁慶刺しにして正月に甘露煮や昆布巻きとして使用していました。ナマズやコイは、樽などに生かしておき、正月のお客様に振る舞っていたそうです。今でもこの地域では、「なまずのたたきだんご」等の川魚料理が食べられています。
※かい掘りとは、沼やため池の水を掻き出して魚を獲る漁法のひとつです。
生井村の漁業
生井地区で主な漁場であった思川と巴波川の2つの川が流れる下生井地区と白鳥地区では、盛んに魚獲りが行われ、漁を生業とする者は「セッショ」と呼ばれていました。
獲った魚は、問屋や魚屋に卸していました。下生井地区には、ノナカ、白鳥地区には、ウオサク、カナヒデ、マツモトの3軒と合計4軒の問屋がありました。地元の問屋以外にも古河から買い付けに来る問屋もあり、朝獲ったものは朝のうちに、昼獲ったものは夕方までに買い取られて行きました。
アミ漁
アミ漁には、トアミ、ザンブリ、ブッテ、サデッカキアミ、マチアミなど様々なアミをがありました。アミ漁では、主にフナやコイを獲っていました。白鳥では、「春は瀬で、秋は川のミオ(深み)をみてかっこめ」と言われており、季節によって仕掛ける場所を選んでいました。
ウケ漁
旧思川や巴波川で使用されていたウケには、ウナギウケ、ダルマウケ、カクウケ、アミウケ、ドジョウウケ、タカッポなどがあります。ウナギウケは、川の浅瀬や縁(へり)などにウケの口を川下に向けてノボリのウナギを獲っていました。ダルマウケとカクウケは主にフナ、コイ、ザコ、ナマズなどを獲るときに使用されます。アミウケは、コイやフナが春先に産卵のために川の縁にある水草(モク)に来るところに仕掛けます。タカッポは、モウソウダケの節を抜いただけのもので、もっとも原始的なウケの一つです。ドジョウウケは、田の水口に仕掛けてドジョウを捕るために使用されていました。
漁の獲物と魚料理
当時は、フナ(ヒラ)・コイ・ウナギ・ナマズ・ドジョウ・ザコ・ライギョ・ソウギョといった川魚が獲れました。魚以外にもエビ(ヌカエビ)やタニシなども獲れたそうです。また、以前の思川(旧思川)は川の流れが穏やかであったため、ため池などによく見られるヒシという植物も自生していて食用として収穫されてました。
漁獲物の入れ物
獲れた魚を入れる道具としては、ビク、イケス、タテズブ、イケタガなどが用いられました。ビクは、腰にさげて使用する小型の入れ物で、主に漁をしている時に魚を入れておく道具でした。一方、大量に魚を入れる道具としては、底の浅いザル型のカサネや、底が深い壷型のタテズブなどが用いられていました。カサネは、その名のとおり数個重ねて使用し、イケスとイケタガは魚を生かしたまま入れておく道具になります。
漁舟
漁に使われる舟は、水の抵抗を少なくするために揚舟よりももっと流線型の形をした舟でした。生井地区や白鳥地区の漁舟の長さは、三間半(約6.3m)で、藤岡町新波の舟大工が作ったものが一般的でした。
鑑札
昭和30年頃のことですが、小山地区は下都賀漁業組合の管轄下にあり、漁をする場合は必ず鑑札が必要でした。鑑札は、ツリ漁は三等、トアミ漁は二等、マチアミ漁は一等といったように一等から三等まで3等級に別れていました。